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汗血馬の赤い汗の正体 ・・・( ̄  ̄;) うーん [環境問題]

こ( ̄0 ̄)ん( ̄ー ̄)に( ̄△ ̄)ち"<( ̄∇ ̄)>"わっはっは!!

China古典で、よく「千里を走る馬(千里 = 約500km)」として「汗血馬(血のような汗を流して走る馬)」が登場します。
三国志に登場する赤兎馬汗血馬の一種と言われています。
血のような赤い汗といえば、河馬(カバ)ですよね。
 河馬は汗腺を持たないので、正確には汗と言えないのですが・・ (; ̄ー ̄川 アセアセ
河馬の汗の赤い成分は構造が解析され、hipposudoric acid、norhipposudoric acid と命名されています。
ああ見えて河馬って気性が荒くて足が速いんですよ。競技用に訓練された河馬は時速40kmで走るとか・・・

野生動物に襲われて死んだ人の数は河馬が一番多いとか・・・・(^^;)

河馬はさておき、 本当に馬が伝説の汗血馬のように血の汗を流すことがあるのだとかw( ̄△ ̄;)wおおっ!
汗血馬のエピソードと共にご紹介します ρ(・д・*)コレ

--------------------------(MSN産経 2013.9.19)
漢の武帝 西域に名馬を求めた皇帝


 沈黙は金なり、とは生者の世間でのみ言えること。死んでしまえば、語ったり書き残したりした方がすこぶる有利なのだ。まして、7世紀ごろまで文字すらもたなかった遊牧民であれば、その声は歴史のなかでほとんど聞こえてこない。
 後代の中華思想のせいかもしれないが、漢という世界帝国の陰にかくれて、匈奴(きょうど)のような遊牧帝国の勢威はほとんど忘れ去られている。
 前200年、匈奴軍は漢帝国の領土内に侵入した。漢の高祖たる劉邦(りゅうほう)は迎撃すべく進軍する。冬季には雨も雪も降り、戦場は苛酷きわまりなかった。やがて匈奴の騎馬軍は退却し始め、高祖の率いる漢軍は追撃する。しかし、これは敗走を装って誘い込む戦術だった。漢軍は分断され、本隊が逃げ込んだ要害の周りを匈奴軍が包囲する。7日間閉じこめられ、とりなしを嘆願する使節を送って、やっとのことで高祖は脱出したという。以後、漢王朝は歴代の匈奴首長に皇女のうちから1人を差し出し、あわせて毎年、絹、綿、酒、米、その他の食糧を匈奴に貢納することになった。
 この顛末(てんまつ)は司馬遷の筆によって書かれている。漢側の史家が王朝の始祖の姿をかくも屈辱的に描く。漢帝国は、その成立初期においては、匈奴帝国にねじふせられていたというほかない。実際、このような事態は七十余年後に漢が攻勢に転じるまでつづいた。
 前2世紀後半になると、武帝が登場し、匈奴への反撃にのりだす。武帝その人にとって匈奴帝国への臣従という状況はよくよく耐えがたいことであった。彼は、まるで漢の威信をかけた戦いであるかのように、執拗(しつよう)に対匈奴作戦を展開する。
 だが、戦争は長期化するだけで、正面から戦いをいどむかぎり、漢軍に勝利の見込みはなかった。騎馬遊牧民の軍団は全員がすみやかに移動できるのに、大多数が歩兵からなる漢軍では敵を攻撃するどころか、追いつくことすらできないのだ。
 宿敵匈奴を破り、晴れて世界帝国の覇者たらんとした武帝のもとへ、西域に棲(す)む天馬をめぐる報告が届く。その馬は、それまで中国にいた馬よりも大きくてすっきりとした四肢をしており、汗をかくと血を流しすさまじい走りをみせるという。そもそも匈奴が強いのは、馬の資質で漢よりもまさるからであった。
 武帝はもともと並々ならぬ馬への愛着心をいだいていたので、この報告に小躍りした。いわゆる汗血馬(かんけつば)を力づくでも手に入れようとして、はるか3千キロの距離のかなたに、2度にわたって大遠征軍を送った。やっとのことで50頭ほどの汗血馬を獲得したとき、喜びのあまり武帝は歌をつくったほどである。

 天馬徠(き)たる、西極(せいきょく)よりす。
 萬里(ばんり)を經(へ)て、有徳(ゆうとく)に歸(き)す。
 靈威(れいい)を承(う)けて、外國(がいこく)を降(く)だし、
 流沙(るさ)を渉(わた)りて、四夷(しい)服す。(『史記』巻24)

 血の汗を流す馬については、今日では多乳頭糸状虫という寄生虫によるものだと指摘されている。この虫を宿すと、皮膚にわずかな血がにじみ、そのために泡のような汗が淡い赤色に見えるという。さらに、この汗血馬は、現トルクメニスタンにいる馬種アハル・テケとしてその名流を今に伝えている。サラブレッドのように均整がとれており、とくに長距離を疾駆する持久力と暑熱への耐久力には目をみはるものがある。
 天馬あるいは汗血馬がその後の漢の馬種改良にどれほどの変化をもたらしたのか、史料からはまったくわからない。そのせいで、しばしば汗血馬の確保は武帝の道楽だったとも言われる。しかし、名馬としての赤兎馬(せきとば)は後世の『三国志』にも登場するから、汗血馬の流れは脈々とつづいていたのかもしれない。
 そういえば、日露戦争で日本軍を悩ませたコサック騎兵の馬もアハル・テケであったという。汗血馬武帝の時代だけでなく、20世紀にいたるまで、東アジアの人々にとっては脅威であり垂涎(すいぜん)の的でもあった。武帝の夢は、車あふれる社会になって忘れがちな世界史の原動力について、あらためて考えさせてくれる。
-------------(以上引用終わり)---------------

う~ん、本当に赤い血を流していますねぇ(リンク先に写真有り)
( ̄ー ̄)(ー_ー)( ̄ー ̄)(ー_-)ういうい♪

①血の汗のように見える現象は、馬が激しく運動した場合、それに付随してのみ出現し、流れ出した汗とともに馬体の表面を濡らすものである。
②土地の牧民たちは汗血馬に対し、「エネルギーがあり余って血を噴出させるたくましい馬」というイメージを持っている(現地畜産関係者のなかには、寄生虫が要因であると知っている人も少なくないが、その家畜としての実害はまったくなく、乗用馬への使用を認めている)。

なるほどねぇ。


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鈴木

先生のサイトで、いつも化学を学ばせていただいています鈴木と申します。先生に教われる生徒さんが羨ましいです・・(^O^☆♪

2点、質問があるのですが、よろしいでしょうか。(メールアドレスがわかりませんでしたので・・すみません)

☆クロム酸とニクロム酸の化学平衡につきまして

ニクロム酸を硫酸酸性にするのは、電気陰性度の大きい酸素に取り囲まれたクロムに電子を送り届けるためだと解釈しております。
大量の水素イオンで酸素を中和させクロムから引き離せばよい・・と。

ただ、この理屈ですと、クロム酸も、ニクロム酸も共に3価のクロムにならなければなりませんが、実際には、クロム酸に水素イオンを投入してもニクロム酸になるのみです。

この点、クロム酸は正四面体構造ゆえ酸化力がないとの記述がございました。SO4^2-をイメージすればわかるような気もするのですが、酸化力(電子を奪うチカラ)とどう関係するのか、なぜに、今度はそこから脱水縮合の話につながるのか、分からなくなってしまいました・涙・・本当にすみません・・・

☆濃硝酸と希硝酸の半反応式で、H+の数が異なるのはルシャトリエの原理が関係しているようなのですがmこの部分mイマイチよくわかりません・・

フォローいただけると助かります。

宜しくお願いいたします!

鈴木 龍太郎
by 鈴木 (2013-09-25 16:16) 

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by Scottwrand (2019-09-20 18:58) 

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