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「公共事業悪玉論」は先入観 [社会・環境問題]

ノヽ口―_φ(゚▽゚*)♪

コンクリートから人へ」の掛け声で、多くの公共予算が削られ、代わりに「子ども手当」というばらまきにお金が消えました


その結果、防災の為の公共工事までが蔑ろにされ、震災や台風・大雨などで多くの被害を出しています。これらは、まさに民主党政権による人災といっても過言ではないでしょう φ(。。) イエローカード (;゜゜)ノ□ペタッ

------------------------------(産経新聞2012.4.2 )

「コンクリートから人へ」の幻想

京都大学大学院教授・藤井聡

 平成22年10月、東日本大震災の約5カ月前、次のような件(くだり)が記載された書籍が出版されていた。

 「東北地域においては、三陸沖北部地震、宮城県沖地震がそれぞれ予想されている。ここに、三陸沖北部地震の30年以内の発生確率は90%、そして、宮城県沖地震に至っては99%で発生することが予想されている

 ≪仕分けで耐震化予算削られる

 この記述の後では、平成22年度に、その年に誕生した民主党政府の「事業仕分け」により小中学校の耐震補強予算が3分の1程度にまで削減され、インフラの耐震化が取りやめになったことが紹介され、次のように続けられている。

  「いうまでもなく、こうした民主党政権の判断は、『コンクリートから人へ』の考え方を踏まえてのものである。しかし、皮肉にも『コンクリートから人へ』の 転換によって、ほぼ間違いなくいつかどこかで生ずるであろう巨大地震によって失われる『人』の命の数を、増加させてしまうことは避けられない

 以上は、僭越(せんえつ)ながら、筆者の著書、『公共事業が日本を救う』の一節からの引用である。

 大震災から1年-。われわれは日本の全ての国力を結集して、救援、復旧、復興を進めてきたといえるだろうか。そして、われわれ日本国民は、その発災以前に、一体何をすべきであったかを反省し尽くしたといえるのだろうか。

 筆者のみならず、大方の読者はこの問いかけに「否」としか答えられないのではないかと思う。

 例えば、多くの読者は、次のようなことをご存じないと思う。

  東北沿岸部で長く建設業を営んでこられた方に伺った話である。具体的な場所を明らかにはできないが、震災前、その方は堤防工事に携わっていたそうである。 受注したその堤防工事は、当初計画よりも数メートル低いもので、それは、途中で公共事業の政府財源が削減されたことが理由だったという。

 ≪当初計画の堤防なら命守れた

 彼は発注された仕様書に基づいて堤防を造った。堤防はこの度の大津波に乗り越えられ、小学生を含む多数の方々がその地で犠牲になった。彼は後日、現場を訪れたとき、当初計画の高さで堤防を築いてさえいれば、被害は防げたであろうことを理解したという。

  こうした「コンクリート」の重要性を示す事例は、よほどのことがない限り、明るみに出ない。もちろん、岩手県普代村で造られていた15メートル堤防によっ て、近隣の村が壊滅した中で普代村だけが救われた事例や、大堤防によって釜石市の被害が大きく軽減されたことが事後分析から判明した事例は、一般にも知られてはきている。

 しかし、「このコンクリートのおかげで救われた」という話とは逆方向の、「このコンクリートがなかったので民が殺(あ や)められた」という事例が明らかになれば、賠償すら伴うような明確な「責任」がそこに発生してしまう以上、そうした事例はめったなことでは表面化しない のである。だから、そうした事例は、前述の関係者証言ぐらいからしか暗示され得ない(そうした問題意識から、筆者は今、現場の人々の発言でしか把握できない質的事実を解釈学的に捉える人文学的研究を進めている)。

 いずれにしても、この関係者証言は、「このコンクリートがなかったので…」といった状況が、広大な被災地の中には少なくなかったであろうことを暗示している。

  事実、この方に、「もし、これまでに公共事業の財源が削られることがなければ、2万人近くに上るといわれる犠牲者はどうなっていたと想像されますか?」と 尋ねたところ、「そうですねぇ…半分くらいの方は助かったのではないでしょうか…」との答えが返ってきた。この数値を額面通りに受け取ることはできないと しても、過激な公共事業の予算削減さえなければ、助かった命が数多くあったであろうことは想像できよう。

 ≪「公共事業悪玉論」は先入観

 被災地では今、少しずつ復興事業が始められつつある。しかし、これだけの未曽有の被害を経てもなお、「土建国家の再来を警戒せよ」という通り一遍の論調がさまざまなメディアに表れている。

 われわれ日本国民は、そうした論調こそが公共事業反対ムードをつくり、それが公共事業予算を過激に削減させ、その結果、巨大地震の被害を拡大させて人々を苦しめ、多くの人々を殺め続けているという実態を、もういい加減、理解すべきときではなかろうか。

  首都直下地震、東海・東南海・南海の三連動地震の危機が迫りつつある今、われわれは「公共事業はとにかく悪」という先入観を、それを「とにかく善」と見な す先入観とともにうち捨て、冷静かつ合理的に、なすべき強靱(きょうじん)化対策を考えねばならぬときにきている。さもなければ、政府が再び「巨大な不作 為の罪」を重ねてしまうことは火を見るよりも明らかだ。

 「人」が死ぬことを防ぐ「コンクリート」は不要なのか-。この重い問いかけに、われわれはメディア関係者も含め、真摯(しんし)に向き合わなければならないのである。(ふじい さとし)

--------------------(引用終わり)--------------------

「反原発」を唱えてる人は「安全が大事」とノタマワっていますが、「必要な公共工事の削減」によって多くの人名が危険に直面させられている事実には何も言いませんね (`ω´)・・・・・
「反原発」の運動なんかよりも「必要な公共工事予算の復活」運動の方が、多くの生命・財産を確実に救うのではないですかδ(・∀・o) 

公共事業が日本を救う (文春新書)

公共事業が日本を救う (文春新書)

  • 作者: 藤井 聡  出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2010/10
  •  「公共事業」といえば、「税金の無駄遣い」で「土建業界と自民党の利権の象徴」だというのが、大方の日本人が抱いている公共事業のイメージだろう。しか し本書は、そんなイメージが大間違いであるということを、明白で驚きに満ちたデータや事例に基づいて、とても分かりやすく示してくれている。
  • ポイントは3 つある。
     (1)「道路はもう必要ない」といった巷の論説は大ウソで、日本の公共インフラはかなり脆弱なのであり、まだまだ「やるべき公共事業」がたくさんあるということ。
     (2)「日本政府は借金まみれで財政破綻が近いので、公共事業なんかやる余裕はない」というのも大ウソで、「円建て」の「内債」で財政が破綻することはあり得ないし、むしろ市場にカネが余っている今こそ国債をバンバン発行すべきだということ。
     (3)大規模な公共事業こそは、短期的には内需拡大・景気回復の助けとなり得るし、戦略的なインフラ投資は、長期的な「国力」の増進にも不可欠であるということ。

     著者はさすがインフラ整備や都市計画の専門家なので、特に(1)についての具体的でリアルな情報が豊富に紹介されているのがありがたい。
     たとえば、「国民の自動車保有台数あたりの道路の長さ」を比べると日本は先進国中最低レベルであり、「道路は既に作りすぎ」といった世間のイメージとは正反対の現実があるのだ。とくに「高速道路ネットワーク」については欧州諸国との差が無惨なほど歴然としている。
     しかも日本の道路は「幅(車線数)」も狭く、踏切が多いし、環状道路の整備不足のせいで大都市の街中には単に「通り過ぎるだけ」の車が1~2割も流入しており、まれにみる渋滞王国と化している。そのせいで生じている経済的な損失は、なんと年間12兆円にも上るそうだ。
      道路だけでなく例えば「港湾」も日本は脆弱。中国・韓国・シンガポールが立派な港を整備して国際物流の要衝を築き上げ、大きな収益を得ているのに対し、日本の港湾は年々プレゼンスを低下させており、そもそも最近の大型貿易船は、日本の港だと整備不足のため入港できないらしい(水深が足りないため)。
      もっと危険な「国民の生命と財産の危機」もある。高度成長期に全国に整備した橋がどんどん老朽化しており、いつ崩落してもおかしくないレベルの橋が(国の 直轄管理分だけで)106箇所もあるという。しかも自治体管理分だと、そもそも公共事業予算の削減のせいでじつに8割以上の自治体が定期点検すら行ってい ないというから危険極まりない。(amazon書評より)

列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)

列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)

  • 作者: 藤井 聡  出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2011/05
  • 鹿島茂氏(仏文学者)が、この本について次のような書評を書いているのを目にしました。

    「公共事業論を専門とする著者が三月二十三日の参議院予算委員会の公聴会で公述した提案を骨子にして二週間でまとめた文字通りの「緊急出版」。
      著者の主張は明快だ。まず、東日本大震災によって、西日本大震災と首都直下型地震それに富士山大噴火の起こる確率が増し、日本全土がカタストロフィーに見 舞われる恐れが強くなったにもかかわらず、日本のインフラはあまりに脆弱だという事実認識。おまけに、直接間接の被害と心理的な需要落ち込みで震災デフレ が加速しようとしている。デフレ・スパイラルに陥ったら最後、復興さえおぼつかない。ゆえに、東日本復興と列島強靭化を一挙に推進すると同時に震災デフレ を克服するには、思い切って財政出動し、強靭な(複線化された)流通。・通信・交通・エネルギー供給網を築き上げるしかないが、それは景気刺激策としても 有効である。財源としては震災デフレを助長しかねない増税はさけ、国債発行と日銀の買いオペを実施すべきである。国債発行が金利上昇を招き、インフレと財 政破綻をもたらすというデフォルト論はクルーグマンのいう「流動性の罠」に日本がはまりこんでいる現状(「たとえ金利がゼロであっても、なお人々が投資を しようとする額を超える貯金をするような状況」)にあってはナンセンスだ。要するに「せっかく政府が、困っている人を助けたいといってるんだから、まずは 今まで通りの税金をしっかり払って、できる範囲でオカネを寄付して、できる範囲でオカネを貸してあげて、それでダメなら、日銀さんに、オカネを政府に貸し てあげるようお願いしようじゃないか」ということなのだ。そして、財政出動でオカネが日本中を回ってデフレ・スパイラルが断ち切られれば、自動的に税収も 回復し、国家債務も減少に向かうだろう。
     基本的に賛成である。たしかに今できるのはこれしかない。遺伝学者ブライアン・サイクスが『アダムの呪 い』(大野昌子訳 ヴィレッジブックス)で指摘していたが、生物がオス細胞(Y染色体)を造って単性生殖から両性生殖へと移行するという「面倒くさい」選 択を行ったのは、単性生殖だとウィルスによって一瞬にして絶滅する危険があるためだったという。日本もインフラを複線化するという「面倒くさい」選択を行 う以外には来るべきカタストロフィーから生き延びる道はないのである。(週間文春)」
    (amazon書評より)

 


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